豪華客船といえばタイタニック号が有名だが、実はそのタイタニック号には姉と妹がいた。
タイタニックは氷山に衝突してたった5日で客船としての生涯を終えたが、姉のオリンピック号はその後に勃発した第一次世界大戦でも沈むことなくその天寿を全うした。
そればかりか第一次世界大戦のさなか、彼女はなんと商船でありながらドイツのUボートを撃沈するという信じられないような武勲を立てる。
豪華客船が潜水艦を撃沈するとはどういうことなのか。今日も辞書を引き引きブリタニカ百科事典を読み進める。
この記事はEncyclopedia Britannica(ブリタニカ百科事典)の記事Olympic (British ship)からの引用を元に、独自研究を加えて自分なりの見解をまとめたものです。
目次
オリンピック号とは
タイタニックの姉として生まれたオリンピック
Olympic, in full Royal Mail Ship (RMS) Olympic, British luxury liner that was a sister ship of the Titanic and the Britannic. It was in service from 1911 to 1935.
– ENCYCLOPEDIA BRITANNICA #Royal Mail Ship Olympic
in full 略さずに luxury 豪華な liner 定期船 in service 運行している
ほう、あのタイタニック号には姉妹がいたのか。
Royal Mail Shipという表現も興味深い。
前から船会社の日本郵船ってなんで「郵船」なんだろうと思っていたが、語源はこのMail Shipというわけか。
それにしても、タイタニックって豪華「客船」だと思っていたけど、郵便船にカテゴライズされているのはなぜだろう。Passenger Shipじゃないんだなぁ。
オリンピック号誕生の背景
To compete with the Cunard Line for the highly profitable transatlantic passenger trade, the White Star Line decided to create a class of liners noted more for comfort than speed.
compete 競い合う Cunard Line キュナードライン社(現在クイーンエリザベス号を保有しているあの会社) White Star Line (ホワイトスターライン社)profitable 儲けの多い transatlantic 大西洋横断の passenger 旅客 class 種類 liner 定期船 note 特筆する
どうやら20世紀初頭の大西洋横断航路は活況だったようだ。飛行機は? と思って調べてみたら、ライトフライヤー号が飛んだのが1903年。
オリンピック号の就役はその8年後だから、まだ飛行機は旅客手段ではなかったということだ。
だんだん話が見えてきた。大西洋横断航路が盛況だった時代、あえてスピード競争から降りて、その代わりにゴージャス路線をとってライバル会社との住み分けを図ったというわけだ。
それにしても、この船でかい。
オリンピック号の仕様
It was also the largest, with a length of approximately 882 feet (269 metres) and a gross tonnage of 45,324. It could carry more than 2,300 passengers.
length 長さ approximately およそ gross (控除する前の)総体の(netの対義語。netは実質。このnetはよくお菓子のパッケージに書かれている。包装部分を除いた、お菓子の実質の重さという意味で) gross tonnage (船舶の)総トン数 passenger 乗客
おいおい、全長269メートル、総トン数45,324って、この大きさ、弩級戦艦の語源となったドレッドノート級の戦艦よりはるかにでかいよ。
他の客船との比較すると、例えばかつてシアトル航路で活躍し、いまは横浜に係留されている氷川丸が全長163.3メートル、総トン数11,622トン、旅客定員331名だから、オリンピック号がいかに大きな客船だったのかがうかがい知れる。
オリンピック号の歴史
英軍艦ホークとの衝突事件
In September 1911 during its fifth commercial voyage, the Olympic collided with the HMS Hawke near the Isle of Wight, southern England. It was later determined that suction from the Olympic had pulled the Hawke into the ocean liner.
commercial 商業の voyage 航海 collide 衝突する determine 判決する suction 吸引
RMSがRoyal Mail Shipなのに対して、HMSはHis (Her) Majesty’s ShipだからHMS Hawkはイギリスの軍艦。
客船が軍艦と衝突したらただでは済まない気がするが、”suction from the Olympic had pulled the Hawke into the ocean liner. “とある。
大型船が波を切って進むと、近くを通る軍艦が制御不能になるくらい強い水流が、船側に向かって発生するということなのだろうか。
たまたまその状況について詳しく説明をしている動画を見つけたので確認したところ、やはりそういうことだった。これには双方さぞ驚いたことだろう。
兵員輸送船時代
In 1915 the Olympic was requisitioned as a troop ship.
requisition (とくに軍隊による)徴用 troop (軍隊の)部隊
そんな豪華客船も、第一次世界大戦が始まると、兵員輸送船として徴用されることになる。
もっとも、ダズル迷彩を施されたオリンピック号の外見には、もはや豪華客船の面影はなかったが。
タイタニック号も氷山にぶつかって沈んでいなければ、こういう姿になっていたかもしれない。
でも、大海原って、そもそも隠れる場所ないんよ。だから隠匿(イントク)性を捨てて、魚雷の回避率向上を目的とした迷彩にしてるんだ。目の錯覚を引き起こすような迷彩塗装で船の進行方向や速度を敵に誤認識させて、魚雷攻撃の命中率を下げようってわけだ。
「当たらなけばどうってことはない」ってよく言いますしね……
Uボートに遭遇するも、これを撃沈
In May 1918 the Olympic sighted a German U-boat near the Isles of Scilly, England,
sight 視界に入れる
1918年5月、長女のオリンピック号もついに輸送船の天敵、Uボートに商船に対潜装備などあるはずもなく、オリンピック号にできることといえば、なんとか魚雷を回避することぐらいだろうが……
In May 1918 the Olympic sighted a German U-boat near the Isles of Scilly, England,
and rammed and sank the enemy vessel.
rum 激しくぶつかる sank 撃沈した(sinkの過去形) enemy 敵の vessel 船
rammed and sankだと!? enemy vesselが指し示しているのはUボートのことだと思うが。
意味がわからず、何度か読み返した。
ラムアタックって艦首をぶつけて敵艦を沈めるあれだよね? いやいや、それちゃんと衝角(Ram)という武装が必要ですから。おたく、客船でしょ。
いくら4万トンの巨体だからといって、潜水艦と衝突したら、ただじゃ済まないでしょうに。
続きの文に目を凝らす。
The following year “Old Reliable,” as the liner was nicknamed, ended its military career.
reliable 頼もしい
ブリタニカ、大事なところを何も書いてないじゃないか。しかも、就航から8年しか経ってないのに、「頼もしいお婆ちゃん」ってなんだい。イギリス人のセンスがわからん。それはさておき、どうやって商船が潜水艦を撃沈したんだ? それが知りたい。
Uボート撃沈の経緯
仕方ないので、wikipediaで調べる。こっちのが圧倒的に詳しかった。
wikipediaによると、
- 1918年5月12日未明、オリンピック号が前方わずか500メートルの位置に浮上航行中のUボートを発見。
- オリンピック号が砲撃(客船なので、大した火力じゃないと思うが)しながらUボートに突進。
- Uボート側、魚雷攻撃を試みるも、2門ある艦尾魚雷の注水ができず、急速潜航。
- オリンピック号の船体後部がUボート当たる。その際、オリンピック号の左側のスクリューがUボートの気密室を切断。
- Uボート、慌てて浮上し、生存者は脱出。艦は放棄。
- オリンピック号、そのままフランスのシェルブールへ向かい、Uボートの生存者31名は米海軍駆逐艦USSデイヴィスが救出。
- オリンピック号、船体の凹みと船首のねじれを抱えたまま、サウサンプトンに帰港。
ということらしい。まっとうな対潜装備がない以上、巨体を活かした体当たりで血路を開こうとしたところ、偶然、スクリューで会心の一撃ということのようだ。タイタニック号の姉さんは、戦史に残る武勇伝の持ち主だったのだ。
オリンピック号の晩年
Despite competition from larger ships, the Olympic remained a popular vessel, making frequent Atlantic crossings. On May 15, 1934, in a heavy fog, the Olympic struck and sank the Nantucket lightship, a boat that was positioned to mark the shoals near Cape Cod, Massachusetts. Seven of the 11 crewmen aboard the lightship were killed, and the Olympic was later blamed for the accident. In April 1935 the Olympic was retired from service. It was later sold for scrapping, and many of the fixtures and fittings were bought and put on display by various establishments, notably the White Swan Hotel in Alnwick, Northumberland, England.
despite 〜にもかかわらず competition 競争 remain 存続する frequent たびたびの Atlantic 大西洋の fog 霧 cape 岬 struck 衝突した(strikeの過去形)lightship 灯台船 position 位置する、固定する mark 示す shoal 浅瀬 crewmen 乗組員 aboard (船などに)乗って blame 非難する fixture 備品 fittings 家具類 various さまざまな establishment(学校・ホテル・会社・病院などの)設立物 notably とりわけ Northumberland (イギリスの)ノーサンバーランド州
こうして、オリンピック号はその四半世紀に渡る生涯を閉じた。
20世紀初頭、大西洋航路を華やかすはずだった三姉妹のうち、タイタニックとブリタニックは1年と存えることができなかったが、長女オリンピックだけが、約四半世紀の天寿を全うすることができた。
しかし長きにわたって築き上げてきた栄光の影で、彼女は重い事故を引き起こしてしまった責に苦しみながら、失意のうちに解体処分を迎えた……
最後に、White Swan Hotelに残されているという、オリンピック号の遺品を紹介する動画があったので、紹介させていただきたい。
かつて大西洋航路を賑わせた豪華客船の面影が偲ばれる。