知ったかブリタニカ

祖国はあまりに遠かった。青島のドイツ東洋艦隊、フォークランド沖に散る。(1914年)

1914年に欧州で勃発した第一次世界大戦は、瞬く間に世界中に飛び火し、日英同盟に基づき日本も参戦。日本はドイツ東洋艦隊の拠点だった中国の青島を攻略。

しかし、日本の参戦を予期していたドイツ東洋艦隊はすでに港を出ており、太平洋上にある連合国の根拠地を叩きながら、祖国ドイツへの帰投を試みていた。

チリのコロネル沖ではイギリス海軍に捕捉されるも、これを見事に返り討ち。シュペー提督率いるドイツ東洋艦隊は、マゼラン海峡を渡って、ついに大西洋に躍り出た。

祖国ドイツまであと8000海里。足りない燃料を補うため、シュペーはイギリスの給炭基地だったフォークランドに奇襲を試みる。

しかし、そこには復讐に燃えたイギリス艦隊が待ち構えていた。

沈みゆくシャルンホルストと、最後の抵抗を試みるグナイゼナウ
沈みゆくシャルンホルストと、最後の抵抗を試みるグナイゼナウ
William Lionel Wyllie, died in 1931. [Public domain], via Wikimedia Commons

この記事はEncyclopedia Britannica(ブリタニカ百科事典)の記事Battle of the Falkland Islands (Summary)からの引用を元に、独自研究を加えて自分なりの見解をまとめたものです。

引用元の英文にはすべて日本語訳をつけてますので、英語が苦手な方でも安心して読めるようになっています。

【コンテンツ構成例】

ブリタニカ百科事典からの引用部(英文)

・英単語注釈

日本語訳

・ブログ「知ったかブリタニカ」主筆マジオによる解説と見解

目次

フォークランド沖海戦の概要

シュペー提督がフォークランドを狙った理由

Battle of the Falkland Islands, (8 December 1914). After the German World War I victory at Coronel the previous month, Admiral von Spee planned to destroy the British coaling station at Port Stanley on East Falkland in the South Atlantic.

-Encyclopedia Britannica #Battle of the Falkland Islands

Falkland フォークランド Coronel コロネル(太平洋に面するチリの都市の名前) previous 前の admiral von Spee シュペー提督 destroy 破壊 coaling 給炭 Atlantic 大西洋 superior より優れた approach 接近する

フォークランド沖海戦(1914年12月8日)。その前の月の、第一次大戦におけるコロネルでのドイツの勝利の後、(ドイツの)シュペー提督は南大西洋に浮かぶ東フォークランドのポートスタンレーにあるイギリスの給炭拠点の破壊を目論んだ。

第一次世界大戦は1914年7月28日に始まったから、開戦から4ヶ月ほど経った頃の話だね。

ちなみにこのドイツ艦隊って、中国の青島を拠点にしていたドイツ東洋艦隊なんだけど、日本海軍による海上封鎖を予測して、先に太平洋に逃げ出していたんだ。


ドイツ東洋艦隊が最も恐れいていた最新鋭艦「金剛」(英国製)
もしこんなのに捕捉されたら、ドイツ東洋艦隊はひとたまりもなかった。
C2revenge [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

その後、シュペー率いるドイツ東洋艦隊は、太平洋で連合国の基地にちょっかいを出しつつ、ドイツへの帰投を試みていたところ、チリのコロネル沖で英艦隊に捕まってしまうが、これを見事に返り討ち。

そのまま勢いに乗ってマゼラン海峡を渡り、大西洋に躍り出て、今度はフォークランド諸島にあるイギリスの給炭拠点を叩こうとした、というわけだ。

マジオ
マジオ
ドイツに帰るための石炭を「現地調達」したかったんだろうね……

フォークランド沖海戦の結果

Spee found a much superior British force in port as he approached. Within hours he was dead.

force 軍勢

港に接近したシュペーは、かなり優勢な英艦隊を見つけてしまった。そして数時間後、彼は死んだ。

数年前に話題になった大河ドラマでの「ナレ死」(登場人物の死亡シーンが描かれず、ナレーションだけで済まされること)を彷彿させる語り口だなぁ……

マジオ
マジオ
うん、まあ、確かに、フォークランド沖海戦を手短に語ると、そういう話だと思うんだよ。

フォークランド沖海戦の詳細

主砲の大きさも船速も優っていた英艦隊

Coronel had been Britain’s worst naval defeat for more than a century. Among the forces deployed to seek revenge was a squadron led by two battle cruisersInvincible and Inflexible—vastly more powerful and considerably faster than Spee’s principal ships, Scharnhorst and Gneisenau.

naval 海軍の defeat 敗北 among 〜の中に deploy 展開する seek 探し求める revenge 復讐 squadron 小艦隊、戦隊 battle cruiser 巡洋戦艦 vastly 非常に considerably 相当に principal 主要な

コロネル沖海戦はイギリス海軍にとって、この1世紀以上の間に起こった最悪の敗北であった。復讐の機会を求めて展開されていた英艦隊の一つに、シュペーの主要艦艇であるシャルンホルストとグナイゼナウより強力でかつより速い二隻の巡洋戦艦—インヴィンシブルとインフレキシブル—に率いられている小艦隊があった。

インヴィンシブルとインフレキシブルは同型艦で、それぞれ30.5センチ砲8門を装備。対するシャルンホルストとグナイゼナウも同型艦同士で、それぞれ21センチ砲が8門

主砲の門数は同じなんだけど、サイズが全然違う。

主砲門数速力
(独)シャルンホルスト
(独)グナイゼナウ
21センチ砲8門23.5ノット
(英)インヴィンシブル
(英)インフレキシブル
30.5センチ砲8門25.5ノット
(日)金剛【参考】35.6センチ砲8門27.5ノット

さらに注目したいのは速力で、(英)インヴィンシブル級が(独)シャルンホルスト級を上回っている。

マジオ
マジオ
英海軍は、シュペー艦隊を発見したら絶対に逃すことなく袋叩きできるだけの戦力を用意していたんだね。ちなみに日本海軍の金剛は、当時世界最強クラスの軍艦だよ。

巡洋戦艦インヴィンシブル(1907-1916)
快速だが装甲の薄さが災いし、2年後のユトランド沖海戦で戦没する。
TWAMWIR [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

火中の栗に手を伸ばしてしまったシュペー艦隊

As the Germans came in sight of Port Stanley on the morning of 8 December 1914, they quickly realized that they had sailed into trouble and turned away at full speed to try to escape. All too soon for the Germans, the British were leaving harbor and gathering speed to chase. Conditions were clear, and the British had most of the day to catch up. 

sight 視界 sail 航海する escape 逃げる All too soon あっという間に gather 集める chase 追跡する

1914年12月8日の朝、ドイツ艦隊はポートスタンレーを視界に入れるやいなや、大変なところに突っ込んでしまったことに気づき、尻尾を巻いて全速で逃亡を始めた。英艦隊はあっという間に出港し、ドイツ艦隊追跡のために速度を上げた。しかも晴天で波穏やかだった上に、英艦隊は(まだ朝なので)ドイツ艦隊に追いつくための十分な時間があった。

カタログスペックだと、英艦隊とドイツ艦隊の速度差は2ノットなんだけど、実際は、長い航海で十分なメンテナンスができていないドイツ艦隊はもっと遅かったらしい。

マジオ
マジオ
押し入り強盗をしようとしたら、すごいマッチョでしかも足の速い人たちに見つかっちゃったという感じだね。

ポートスタンレーにイギリスの巡洋戦艦が2隻もいるのを目の当たりにしたシュペー提督の心中は察するに余りある。

まだ英艦隊は停泊中なので、すぐに追いつかれるということはないが、あちらの方が足が速いのでそれも時間の問題。

シュペー艦隊を追う英艦隊
インフレキシブル(左) インヴィンシブル(中央) ケント(右)
William Lionel Wyllie [Public domain], via Wikimedia Commons

戦って勝てる相手ではないが、かといって速力でも劣っているので、逃げ切る望みも薄い。

きっとシュペー提督は「あ、巡洋戦艦がいる」と気づいた途端、今日が人生の最後の日になると悟ったことだろう。

ドイツ東洋艦隊の最期

By early afternoon, Spee accepted escape was impossible and turned back with his two slower big ships, while ordering his three faster light cruisers to flee. British Admiral Sturdee sent his five cruisers after the smaller German ships (two were sunk later and one escaped) and faced Spee with his two battle cruisers.

early afternoon 昼下がり accept 甘受する light cruiser 軽巡洋艦 flee 逃亡する admiral 提督 cruiser 巡洋艦 battle cruisers 巡洋戦艦

昼下がりまでに、シュペーは逃げきれないと観念し、速度の遅い大きな二隻の船とともに引き返し、その間に三隻のより速度の速い軽巡洋艦に戦線離脱するよう下命した。イギリスのスターディー提督は配下の五隻の巡洋艦にその逃げ出した軽巡洋艦三隻を追撃させ(2隻撃沈したが1隻取り逃がした)、二隻の巡洋戦艦でシュペーを迎え撃った。

マジオ
マジオ
お約束の「ここは俺にまかせて先に行け!」という展開だね。

装甲巡洋艦シャルンホルストの勇姿
味方を逃がすため、グナイゼナウと共に、決死のしんがりを務めた
Cay Jacob Arthur Renard [Public domain], via Wikimedia Commons

The British gunnery was poor, and the Germans maneuvered skillfully so that it took much of the afternoon before the British made telling hits. Eventually, however, the big British shells struck home. Both German armored cruisers were sunk before about 6:00 PM, with few survivors.

gunnery 砲術 poor 下手 maneuver (乗り物の)巧みな操縦、(艦隊などの)戦術的展開 skillfully 上手 telling 手応えのある、有効な eventually 結局は shell 砲弾 strike home (砲弾などが)命中する

英艦隊の砲術スキルは低く、一方のドイツ艦隊は巧みな戦術展開だったため、英艦隊は有効な命中弾を与えるまでに、午後いっぱいを要した。しかし結局、英艦隊の大きな砲弾は命中し、ドイツの二隻の巡洋戦艦は午後6時までに、ほとんど生存者を残さず沈没した。

イギリス艦隊の30.5センチ砲のが射程が長いし、足も早かったから、砲弾の命中率が低かったとしても、ほぼ一方的に攻撃できたわけだ。


沈みゆくシャルンホルストと、最後の抵抗を試みるグナイゼナウ
William Lionel Wyllie, died in 1931. [Public domain], via Wikimedia Commons

一方、こちらの主砲が届かない距離から一方的にボコられるドイツ艦隊は、さぞかし悔しかったことだったろう。

マジオ
マジオ
巡洋戦艦ってのは、戦艦並の攻撃力と巡洋艦並の足の速さをあわせ持ってるけど、装甲がペラいからちょっと打たれ弱い。なので自分より弱いものに対してはとことん強いけど、強い相手に対してはとことん弱いという、人間ならあまりお友達にしたくないタイプなんだな。

The Battle of the Falkland Islands has been called the most naval battle of the war, because it gave a great morale boost to the Allied war effort at a dire time, when the Allies were flailing on the Western Front and were about to get bogged down in Gallipoli.

morale (国民の)士気 boost 押し上げ Allied 連合国側の effort 奮闘 dire 悲惨な flail 打つ、叩く about to 〜しそうである bog 泥沼にはまる

フォークランド沖海戦は、西部戦線で打ちのめされ、(イタリアの)ガリポリで泥沼にはまるという悲惨な時期にあった連合軍の士気を大いに高めたという意味で、第一次大戦における最高の戦いと見なされている。

第一次大戦での有名な海戦といえばユトランド沖海戦の方だと思うけど、苦しい時期の連合国にポジティブな影響を与えたという意味で、このフォークランド沖海戦は高い評価をされているようだ。

この海戦は、より大きい大砲をより多くそろえた方が勝つという単純な算数の問題に加え、機動力に勝る側が海戦の主導権を握るという、当たり前すぎる理論で当たり前の結果が出た海戦だったといえよう。

したがって海戦そのものに関しては、特筆すべきことはないのだが、シュペー提督がイギリスの巡洋戦艦をみつけた後、計算上、勝つことも逃げきることもできないことがわかりきっている状況下で、最後まで奮闘したその気持ちには心打たれるものがある。


コロネル沖海戦での勝利後、大西洋に向けて出港するシュペー艦隊(1914年11月3日)
この1ヶ月後、フォークランド沖で英艦隊と交戦し、全滅。
U.S. Naval Historical Center Photograph [Public domain], via Wikimedia Commons

また同時に、集めた人の数や、用いた戦術ではなく、単に戦場に用意できた兵器の優劣が、そのまま勝敗につながったという事実にむなしさを感じる。

テクノロジーの進歩が、人間ひとりひとりの価値を相対的に低めているように感じられるのだ。

この海戦では、参加した艦船数も兵員数もほぼ互角だったのにも関わらず、軍艦の性能差によってドイツ艦隊は壊滅の憂き目に遭う一方で、イギリス側の損害は軽微であった。

しかも、ブリタニカが指摘しているように、イギリス艦隊の砲撃スキルは低かった一方で、ドイツ艦隊は巧みな操船だったとあることから、兵員の質はドイツがイギリスを上回っていたものと思われる。

だが、それは勝敗にまったく関係なかった。

Losses: British, 10 dead, 19 wounded, no ships sunk; German, some 1,900 killed, 215 captured, 6 ships sunk.

losses (lossの複数形) 喪失 wounded 負傷者 captured 捕虜となる some (数詞の前に用いて)約

喪失:英軍、戦死者10名、負傷者19名。沈没なし。独軍、戦死者約1900名、捕虜215名、沈没6隻。
戦死負傷捕虜沈没
英艦隊10名19名なし
独艦隊1900名215名6隻

このように、より強力な軍艦を用意したイギリス側が、ドイツ艦隊を一方的に打ちのめし、ドイツ側はイギリス側の190倍の戦死者を出す結果となっている。

もはや現場にいる個々の人間の努力でどうとなるものでもなく、兵器の性能の差が、戦力の決定的な差になってしまっているところに、ある種の無力感のようなものを感じる。

テクノロジーの進歩によって人間と人間の作り出したものの関係が主客転倒し、一人の人間としての自己効力感が大きく削がれているように感じるのだ。

このむなしい感覚は、時代が進めば進むほど、大きくなっていくのだろう。

しかし、だからこそ「モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差ではないということを・・・教えてやる!」というシャア・アズナブル大佐の名言は、その無力感から救い出してくれる力強い言葉として、令和のいまも語り継がれているのだと、ぼくは思う。

マジオ
マジオ
フォークランド沖海戦の話の締めが、まさかガンダムの話になるとは、書いた本人もまったく予想してなかった。