1914年に欧州で勃発した第一次世界大戦は、瞬く間に世界中に飛び火し、日英同盟に基づき日本も参戦。日本はドイツ東洋艦隊の拠点だった中国の青島を攻略。
しかし、日本の参戦を予期していたドイツ東洋艦隊はすでに港を出ており、太平洋上にある連合国の根拠地を叩きながら、祖国ドイツへの帰投を試みていた。
チリのコロネル沖ではイギリス海軍に捕捉されるも、これを見事に返り討ち。シュペー提督率いるドイツ東洋艦隊は、マゼラン海峡を渡って、ついに大西洋に躍り出た。
祖国ドイツまであと8000海里。足りない燃料を補うため、シュペーはイギリスの給炭基地だったフォークランドに奇襲を試みる。
しかし、そこには復讐に燃えたイギリス艦隊が待ち構えていた。
この記事はEncyclopedia Britannica(ブリタニカ百科事典)の記事Battle of the Falkland Islands (Summary)からの引用を元に、独自研究を加えて自分なりの見解をまとめたものです。
目次
フォークランド沖海戦の概要
シュペー提督がフォークランドを狙った理由
Battle of the Falkland Islands, (8 December 1914). After the German World War I victory at Coronel the previous month, Admiral von Spee planned to destroy the British coaling station at Port Stanley on East Falkland in the South Atlantic.
-Encyclopedia Britannica #Battle of the Falkland Islands
Falkland フォークランド Coronel コロネル(太平洋に面するチリの都市の名前) previous 前の admiral von Spee シュペー提督 destroy 破壊 coaling 給炭 Atlantic 大西洋 superior より優れた approach 接近する
第一次世界大戦は1914年7月28日に始まったから、開戦から4ヶ月ほど経った頃の話だね。
ちなみにこのドイツ艦隊って、中国の青島を拠点にしていたドイツ東洋艦隊なんだけど、日本海軍による海上封鎖を予測して、先に太平洋に逃げ出していたんだ。
その後、シュペー率いるドイツ東洋艦隊は、太平洋で連合国の基地にちょっかいを出しつつ、ドイツへの帰投を試みていたところ、チリのコロネル沖で英艦隊に捕まってしまうが、これを見事に返り討ち。
そのまま勢いに乗ってマゼラン海峡を渡り、大西洋に躍り出て、今度はフォークランド諸島にあるイギリスの給炭拠点を叩こうとした、というわけだ。
フォークランド沖海戦の結果
Spee found a much superior British force in port as he approached. Within hours he was dead.
force 軍勢
数年前に話題になった大河ドラマでの「ナレ死」(登場人物の死亡シーンが描かれず、ナレーションだけで済まされること)を彷彿させる語り口だなぁ……
フォークランド沖海戦の詳細
主砲の大きさも船速も優っていた英艦隊
Coronel had been Britain’s worst naval defeat for more than a century. Among the forces deployed to seek revenge was a squadron led by two battle cruisers—Invincible and Inflexible—vastly more powerful and considerably faster than Spee’s principal ships, Scharnhorst and Gneisenau.
naval 海軍の defeat 敗北 among 〜の中に deploy 展開する seek 探し求める revenge 復讐 squadron 小艦隊、戦隊 battle cruiser 巡洋戦艦 vastly 非常に considerably 相当に principal 主要な
インヴィンシブルとインフレキシブルは同型艦で、それぞれ30.5センチ砲8門を装備。対するシャルンホルストとグナイゼナウも同型艦同士で、それぞれ21センチ砲が8門。
主砲の門数は同じなんだけど、サイズが全然違う。
主砲 | 門数 | 速力 | |
---|---|---|---|
(独)シャルンホルスト (独)グナイゼナウ | 21センチ砲 | 8門 | 23.5ノット |
(英)インヴィンシブル (英)インフレキシブル | 30.5センチ砲 | 8門 | 25.5ノット |
(日)金剛【参考】 | 35.6センチ砲 | 8門 | 27.5ノット |
さらに注目したいのは速力で、(英)インヴィンシブル級が(独)シャルンホルスト級を上回っている。
火中の栗に手を伸ばしてしまったシュペー艦隊
As the Germans came in sight of Port Stanley on the morning of 8 December 1914, they quickly realized that they had sailed into trouble and turned away at full speed to try to escape. All too soon for the Germans, the British were leaving harbor and gathering speed to chase. Conditions were clear, and the British had most of the day to catch up.
sight 視界 sail 航海する escape 逃げる All too soon あっという間に gather 集める chase 追跡する
カタログスペックだと、英艦隊とドイツ艦隊の速度差は2ノットなんだけど、実際は、長い航海で十分なメンテナンスができていないドイツ艦隊はもっと遅かったらしい。
ポートスタンレーにイギリスの巡洋戦艦が2隻もいるのを目の当たりにしたシュペー提督の心中は察するに余りある。
まだ英艦隊は停泊中なので、すぐに追いつかれるということはないが、あちらの方が足が速いのでそれも時間の問題。
戦って勝てる相手ではないが、かといって速力でも劣っているので、逃げ切る望みも薄い。
きっとシュペー提督は「あ、巡洋戦艦がいる」と気づいた途端、今日が人生の最後の日になると悟ったことだろう。
ドイツ東洋艦隊の最期
By early afternoon, Spee accepted escape was impossible and turned back with his two slower big ships, while ordering his three faster light cruisers to flee. British Admiral Sturdee sent his five cruisers after the smaller German ships (two were sunk later and one escaped) and faced Spee with his two battle cruisers.
early afternoon 昼下がり accept 甘受する light cruiser 軽巡洋艦 flee 逃亡する admiral 提督 cruiser 巡洋艦 battle cruisers 巡洋戦艦
The British gunnery was poor, and the Germans maneuvered skillfully so that it took much of the afternoon before the British made telling hits. Eventually, however, the big British shells struck home. Both German armored cruisers were sunk before about 6:00 PM, with few survivors.
gunnery 砲術 poor 下手 maneuver (乗り物の)巧みな操縦、(艦隊などの)戦術的展開 skillfully 上手 telling 手応えのある、有効な eventually 結局は shell 砲弾 strike home (砲弾などが)命中する
イギリス艦隊の30.5センチ砲のが射程が長いし、足も早かったから、砲弾の命中率が低かったとしても、ほぼ一方的に攻撃できたわけだ。
一方、こちらの主砲が届かない距離から一方的にボコられるドイツ艦隊は、さぞかし悔しかったことだったろう。
The Battle of the Falkland Islands has been called the most naval battle of the war, because it gave a great morale boost to the Allied war effort at a dire time, when the Allies were flailing on the Western Front and were about to get bogged down in Gallipoli.
morale (国民の)士気 boost 押し上げ Allied 連合国側の effort 奮闘 dire 悲惨な flail 打つ、叩く about to 〜しそうである bog 泥沼にはまる
第一次大戦での有名な海戦といえばユトランド沖海戦の方だと思うけど、苦しい時期の連合国にポジティブな影響を与えたという意味で、このフォークランド沖海戦は高い評価をされているようだ。
この海戦は、より大きい大砲をより多くそろえた方が勝つという単純な算数の問題に加え、機動力に勝る側が海戦の主導権を握るという、当たり前すぎる理論で当たり前の結果が出た海戦だったといえよう。
したがって海戦そのものに関しては、特筆すべきことはないのだが、シュペー提督がイギリスの巡洋戦艦をみつけた後、計算上、勝つことも逃げきることもできないことがわかりきっている状況下で、最後まで奮闘したその気持ちには心打たれるものがある。
また同時に、集めた人の数や、用いた戦術ではなく、単に戦場に用意できた兵器の優劣が、そのまま勝敗につながったという事実にむなしさを感じる。
テクノロジーの進歩が、人間ひとりひとりの価値を相対的に低めているように感じられるのだ。
この海戦では、参加した艦船数も兵員数もほぼ互角だったのにも関わらず、軍艦の性能差によってドイツ艦隊は壊滅の憂き目に遭う一方で、イギリス側の損害は軽微であった。
しかも、ブリタニカが指摘しているように、イギリス艦隊の砲撃スキルは低かった一方で、ドイツ艦隊は巧みな操船だったとあることから、兵員の質はドイツがイギリスを上回っていたものと思われる。
だが、それは勝敗にまったく関係なかった。
Losses: British, 10 dead, 19 wounded, no ships sunk; German, some 1,900 killed, 215 captured, 6 ships sunk.
losses (lossの複数形) 喪失 wounded 負傷者 captured 捕虜となる some (数詞の前に用いて)約
戦死 | 負傷 | 捕虜 | 沈没 | |
---|---|---|---|---|
英艦隊 | 10名 | 19名 | — | なし |
独艦隊 | 1900名 | — | 215名 | 6隻 |
このように、より強力な軍艦を用意したイギリス側が、ドイツ艦隊を一方的に打ちのめし、ドイツ側はイギリス側の190倍の戦死者を出す結果となっている。
もはや現場にいる個々の人間の努力でどうとなるものでもなく、兵器の性能の差が、戦力の決定的な差になってしまっているところに、ある種の無力感のようなものを感じる。
テクノロジーの進歩によって人間と人間の作り出したものの関係が主客転倒し、一人の人間としての自己効力感が大きく削がれているように感じるのだ。
このむなしい感覚は、時代が進めば進むほど、大きくなっていくのだろう。
しかし、だからこそ「モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差ではないということを・・・教えてやる!」というシャア・アズナブル大佐の名言は、その無力感から救い出してくれる力強い言葉として、令和のいまも語り継がれているのだと、ぼくは思う。